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確定しかけのループ説否定考察 【進撃の巨人 最新話 考察】

2019年12月13日

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先日、こんなツイートを目にしました↓

 

 

 

私は「ループ説否定派」です。

実際これまで二度、ループ説を否定する記事を書いています↓

 

www.riarebi.net

 

しかも121話で、「進撃の巨人は、未来の記憶をのぞける」という言葉が出てきましたよね。

あの時点で私は「これでもうループは消えただろう」と確信に近いものを持ったワケです。

 

でもさすがに↑のツイートを見ると、自分の予想がハズれたかもと思わざるを得ません。

最新話(123話)も、ミカサの「におわせナレーション」とも取れるような感じでしたし↓

 

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「進撃の巨人」123話より

しかし。

私はしつこいのです。

↑のツイートを、ループではなく「未来の記憶」で説明できないかと考えてみました。

で、その結果、なんとか形できそうだなと。

ですので、最新話(123話)までの状況において、それでもループではないのではないかと思える理由を書いてみようと思います。

「未来の記憶」以外の理由もあるので、それらも添える形で。

 

【目次】

ミカサの能力は「記憶の番人」

 

ミカサのアズマビト家としての能力は「世界の記憶の番人」。

 

コレ↑は、私が2年半前に過去記事に書いた言葉です。

今回、この「世界の記憶の番人」の意味を、もう少し拡張させたいと思います。

「ミカサは、変化する前の世界の記憶をも見ることができる」という意味で。

 

121話。

「進撃の巨人の継承者は、王の独善に抗うため、未来の継承者の記憶を覗き見ることができる」ことが明らかになりました(もっとも、この能力自体がウソの可能性もあるかと思います。ですが今回は、本当という前提で話を進めます)。

そしてジークは言いました↓

 

「進撃の巨人」に本当に時を超える能力があるのなら、都合のいい記憶だけをグリシャに見せて、過去に影響を与えることも可能なはず…」

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「進撃の巨人」121話より

ということは?

当然、未来の記憶を見ることによって、過去の進撃継承者の行動は変化し得るということです。

だって未来の継承者は、過去の継承者に行動の変化を求めて未来の記憶を見せるワケですから。

 

つまり。

未来の記憶によって、ループと同じようなことが起きるのです。

 

未来の記憶を見て、過去の継承者が自らの行動を変えます。

すると継承者のみならず、その他の周りのものも何らかの影響を受けて変化することになる。

つまりこの未来の記憶による変化によって、↑のツイートで指摘されているように、結果として窓の形も変わったのではないかということです。

で。

ミカサは、この進撃の能力によって起こった「変化前の記憶」も持つことができるのではないかと私は思っているワケです。

 

いや、「なんで進撃の継承者の行動の変化が、窓がかわることに繋がるねん?!」と言われたら、具体的には分かりませんよ。

でもそれを言ったら、「なんでループするたびに、窓の形がかわるねん?!」と、ループにも同じことが言えるワケで。

 

あとコレは邪推で恐縮ですが、「未来の記憶」というループのかわりになるものが出てきた以上、ここからまたループを出してくるというのは、んー、進撃の巨人の物語のスマートさから考えると「ない」のではないのかなというお気持ちもあったりします。

もちろん私のそういった安易な邪推を、それこそスマートに軽々と飛び越えてくれるのが、私にとっての進撃の巨人の大きな魅力の1つで、だから結局、ループ説を全力では否定できないのですが。。

 

ちなみに。

もし私の予想が当たっていれば、巨人化したエレンがミカサを攻撃した(↓)理由にも繋がりそうなので、続けて書いてみますね。

 

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「進撃の巨人」12話より

進撃の巨人にとって、アズマビトは邪魔な存在

 

121話。

グリシャはこう言いました。

「フリーダが進撃の未来の記憶能力を知らないのは、不戦の契りのせいだ」と。

 

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「進撃の巨人」121話より

ということは?

裏を返せば「不戦の契り」の前、つまりカール・フリッツ以前の王たちは知っていたことになります。

何者にも従わず、王の独善に抗う進撃の巨人の継承者が、未来の記憶を見ることができるという特殊能力を持っていることを。

 

コレはエルディア帝国の王家にとってみれば、かなりの脅威ですよね。

だって進撃の巨人は、王がコントロールできない唯一の存在なのですから。

 

そこで、アズマビトの「記憶の番人」です。

もしアズマビトが、進撃継承者が変える前の世界における自らの記憶を持つことができるとしたら?

そして始祖ですら、その特殊能力を持っていないとしたら?

当然、王にとってアズマビトの存在は貴重なものとなるでしょう。

 

逆に。

進撃にとってみれば、アズマビトの能力は厄介です。

だって行動の変化によって、自分の狙いや真意を見透かされるかもしれないから。

この本能にまで刷り込まれたアズマビトへの警戒心が、↑の12話でのミカサへの攻撃となったのではないかと私は勘ぐっているワケです。

このころのエレンはまだ、進撃の巨人をほとんど制御できていませんからね。

進撃としての本能がむき出しになったとしても、不自然ではありません。

 

もしこの考察が正しければ、エレンにとってのミカサは、

  • 唯一無二の家族
  • 自分(宿主)を必ず守ろうとするアッカーマン

に加えて、

  • 自分の行動を見透かすアズマビト

といった形で、「ますます縁の深すぎる存在」となるワケです。

 

ちなみに。

先ほど「アズマビトは、進撃継承者の真意を見透かす」と書きました。

コレって、今の「真意を隠すエレン」にピッタリだと思いませんか。

つまりミカサは、アズマビトとしての特殊能力によって、エレンの真意を知る可能性があるのではということです。

 

で。

もうちょっと妄想を加速させてください。

ミカサが、いつアズマビトの能力に本格的に目覚めるかという点。

私は「ミカサが、アッカーマンの本能を手放すことができたとき」ではないかと思っています。

ミカサは母親に家紋を彫ってもらった後すぐに、アッカーマンの能力に目覚めましたしね。

そういう意味でも、エレンがミカサを突き放したシーンは伏線になっているんじゃないかなと。

エレンの意図は置いておいて。

 

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「進撃の巨人」112話より

と、ここまでが、本記事で私が書きたかったメインの考察です。

ここからは未来の記憶以外にも、私がループ説派ではない理由を書きたいと思います。

 

歴代のアズマビトは、なぜループさせなかった?

 

ミカサの能力が、もしループだったら。

当然それは、歴代のアズマビトの主にもループ能力があったということにもなります。

 

であれば。

なぜ、そんな特殊能力を持つ将軍家が没落したのでしょうか。

ループを繰り返せば良かったのでは?

 

いや、反論はできるでしょう。

なぜなら↑の疑問は「始祖の力を持ちながら、なぜエルディア帝国は崩壊したのか」と似たようなものですから。

 

107話。

キヨミは言いました。

「『巨人大戦』後、ヒィズル国は敗戦国として立場を追われた」と↓

 

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「進撃の巨人」107話より

例えばこのときループを発動させていれば、ヒィズル国が立場を追われることはなかったのではないか。

でも例えば、壁の初代王であるカール・フリッツと同様、将軍家子息にも何らかの罪意識があり、結果ループを発動させなかったとかもあるかもしれません。

実際、仲良かったみたいですしね。

 

では、始祖による記憶改ざんはどうでしょうか。

現在のところ、壁内の記憶改ざんについて、アズマビトは猛反対した。だから排除されたとなっています。

もしこれが本当なら、このときこそループ発動すべきではないでしょうか。

 

いや。

この疑問だって、理由を挙げろと言われればいくつかは考えられます。

始祖の「不戦の契り」みたいに、ループ能力も制御されていたとか。

そもそも排除された理由は、別にあったとか。

 

でももし、ミカサにループ能力があるとするなら、↑で挙げたような疑問についても無視できなくなるんじゃないかと思うんですよね。

で、そうなった場合、「ソレを今から描き切るのですか」という……まあコレも、思いっきり邪推なのですが。

でも進撃なら、やっぱり出来てしまうのかもしれませんね。

もしそうなったら、それはそれですごく楽しみだったりもしますが、どうなのでしょう。

 

窓に全く触れず終わることもできる

 

ちなみに窓については、描き違いの可能性も0ではありません。

というのも、例えば↓なんかは、伏線のように見えて実際は違っていましたし。

 

 

 

ただ今回の場合は、初期ならともかく、27巻と28巻でも窓が違いますし、おそらく意図的に描き分けていると私は思っています。

 

それと「後からどうとでも使えるように、一応描き分けておいた」説なんていうのも、もしかすると提唱できるかもしれません。

例えば、物語自体がこの窓の伏線に全く触れずに終わったとしても、そのことによって大きな不満が出るようなものでもないですしね。

あ、コレも邪推ですね。

引用元 筆者:江戸川のポー

http://www.riarebi.net/entry/2019/11/17/095905

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