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交響詩篇 エウレカセブン デューイの言葉考察

2019年12月13日

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体はトラパーで出来ている(挨拶)。

 

* * *

先日、ゼミの同期で親友の銀行マンの転勤が急遽決まり、即移動ということで最終の新幹線が出る直前まで寿司屋で語らい、10年後にはいったいどんな仕事をしているのか、先行き不透明なこの世の中で、僕らはどんな波を掴んで、どんな波を選んでいくのだろう、もちろんワイプアウトもありだよね、なんてしみじみ語りながら、ふと同時に別のことも考えてました。

エウレカセブンのデューイの言葉が気になって仕方ありません。

すまん、友よ。
頼みすぎた鮨を(君に)詰め込みながら、東京駅のホームまで走りつつ、そんなことを考えている僕は友達失格だと思います。
新天地でも頑張ってくれ!

* * *

さて、そんな友との別れを惜しみつつも、気になっていたデューイの言葉というのがですね、確か第39話「ジョイン・ザ・フューチャー」のラストで言ったスカブコーラルに対する「侵略者」という言葉ですね。

これが放送されたときからずっと引っかかって気持ち悪いんです(笑)。

これって時間軸から考えるとおかしくない?とか、考えてしまって、こういうひっかかりがあるときは何かあるんじゃないかと思ったり。

公式HPの設定にも公開前から先住民がいるような表現があったような気がするのですが、そうすると時間軸的には、

スカブコーラル → 人類

の順番でこの惑星に辿り着いたことになり、デューイの「侵略者」というのはいまいち当てはまらない気がします。

そこで、これまでの感想のコメント欄や第4クールのOPに関するコメント欄で「猿の惑星」的展開もありじゃないか?という意見を頂いていたり、これまでの僕の「海」出現の予想(妄想)と、デューイの「侵略者」という言葉がぐるぐる回ってこういう展開もありじゃない?というのを(また)妄想して遊んでみました。

* * *

第33話「パシフィック・ステイト」の冒頭シーンで、1万年前の地球の様子が描かれ、そこには海があって、サーフィンをやっている光景が描写されていました。
そして、ストナーのモノローグではこうも言っています。

「海というものがあった」
#台詞ちょっと違うかもしれん。

これは現在の惑星には「海」が存在しない、ということを現しているわけですが、今の人類においては「海」という存在自体を知らない、もしくは知っていても知識レベルのものだということですね。

そもそもの設定として、人類は地球に住めないような状態を招いてしまった結果、「約束の地」を求めて移民船に乗り、遥かな時間をかけてこの惑星に辿り着いた、とあります。
また、そこには先住民がいたとしたら……、というので物語が始まっています。

では、デューイの言う「侵略者」とは何か?
順番で言えば、人類側の方が「侵略者」ではないのか?

そう思ったときに、もし遥かな時間をかけて辿り着いた「約束の地」が、実はかつての地球だったとしたら?

人類が地球を捨てざるを得ず、飛び出した後に、スカブコーラルがかつて地球だった大地に漂着していたとしたら?

生態系を変えつつも、人類がテラフォーミングをすることで住むことが可能になる程度にスカブコーラルが大地と結びついていたら?

……そして、かつて地球だった大地が今、クダンの限界を迎えようとし、物理宇宙の崩壊を招く寸前だとしたら?

デューイの観点だけから見れば、スカブコーラルは「後」からこの惑星に来た「侵略者」であり、この約束の地こそ、自分たち人類のものであり、それを崩壊させることは許せない、そう考えていたりしないだろうか?とかね。

もはやSFの古典とも言える「猿の惑星」では、遭難した宇宙飛行士が辿り着いた惑星は猿が支配する惑星でした。
その衝撃のラストについては、僕も最初に(古い方の)映画を観た時、相当驚愕したことを憶えています。
海辺に見える、崩れ落ちた自由の女神の姿……。
そう、それは未来の地球だったわけです。

「侵略者」という言葉をデューイが使ったのは、そういう意味があるんじゃないかな、と妄想大爆発ですが(笑)、それと僕がもう一つ妄想している「海」出現ラストを無理矢理こじつけると、こんな感じになりました。

もともと地球は自分たち人類が住めなくしてしまい、放浪することになったのは自業自得な部分があるんじゃないかと思うんです。
#デューイ的にはその辺は関係無いかもしれませんが。

それがスカブコーラルが漂着したことで、皮肉にも人類も住むことが許される状態に戻ったのかもしれない。

地球を捨てた人類と、地球を再生させたスカブコーラル。
しかし、今、また皮肉にも、再生させたスカブコーラルがクダンの限界を迎えることで、この惑星は再度崩壊の危機に瀕している。

人類だけでも滅んでしまった惑星。
スカブコーラルだけでも滅んでしまいそうな惑星。

なら、この惑星が滅ばない方法とは?

というのがこの作品のSF部分の肝であり、実はメインテーマであるレントンとエウレカのボーイ・ミーツ・ガールへと繋がっていくところだと思っています。

ポイントはホランドの口(アドロックも)からも何度か語られた「共生」であることは既に視聴者サイドとしてもある程度見えてきたところだと思います。

また、この物語はレントンとエウレカの物語でもあるので、種を越えてこの二人が相互理解し合っていけるか?ここに「共生」の鍵があると思いますし、タルホさんの妊娠を含め、新しい生命への布石にもなっているんじゃないかと思います。

どちらかだけでも滅ぶならば、やはりレントンとエウレカを鍵として「共生」の道を模索していく、ここがメインストリームなんですよね。

じゃあ、どうやって?
というところですよね。

* * *

本編ではサクヤとノルブの過去編もあって、もうゾーンへ突入するための準備が着々と揃ってきています。
ゾーンを突破したその先に何があるのか?

アドロックの言葉を借りてエウレカが言うのは「未来」がある、と。

この先の展開はここまでこの作品を盛り上げてくれた制作スタッフの皆さんに期待するしかないわけですが、個人的にはこういう展開だったら嬉しいなぁ。

「海」の無い惑星。
もし仮にこの惑星が、実は「地球」だったとしたら。

セブンスウェル現象はトラパーの流れが大暴走し、その後に残るのは「塩」。

そしてセブンスウェルとは異なるあの「虹色の現象」。
これはトラパーを「別の何か」に変換してしまう、と言っていました。

レントン、エウレカ、そしてニルヴァーシュ。
この女神、王、金枝の3つが揃って初めて突破する世界。

あの「虹色の現象」によってトラパーを別の何かに変換することができるならば、そこに出現するのは「海」であって欲しいなぁ。

いや、出現じゃなくて復活か。

この部分の妄想は全く論理的じゃないし、断片に直感を足しているので論理の飛躍も甚だしいわけですが(笑)、やっぱりOPのラストカットを観て個人的には確信したんですが、海の復活、これやってくれないかなぁ。

まあ、海が復活してもクダンの限界を回避できるかどうかは別問題かもしれないっす。
でも、トラパーを何か別のものに変換したことによって海が生まれるなら、そういう回避の仕方もありなのかも、なんて遊んでみました。

* * *

第33話「パシフィック・ステイト」では、1万年前の地球でレントンやエウレカに良く似た人(もちろん僕の好きなチャールズやレイも居て)が海でサーフィンをやっていました。

僕の妄想の中でこういうラストだと良いな、と思っているのは、1万年後のこの惑星(地球かもしれない)において、復活した海で、レントンとエウレカの子孫と思しき少年・少女がサーフィンをやっている、そういう光景があっても良いなぁ、と思います。

そしてストナーあたりのモノローグで「かつてこの星にはトラパーというものが溢れ、人々はサーフィンに良く似たスポーツ、リフティングを楽しんでいた」というのをやってくれたら面白いな。

* * *

とまあ、デューイの「侵略者」って台詞から、ここまで妄想できる自分は本当に馬鹿なんだと思います(笑)。
ええ、体はトラパーで出来てますから。

ということで、こんな妄想を大爆発させていたわけですが、この記事は僕個人の妄想に基づくものであり、論理の飛躍も多々有り、信憑性の欠片もないことをここに宣言しておきます(ヲイ)。
#信じちゃダメですよ~。

まあ、大はずれしても、ここまで妄想させてくれて楽しませてくれたエウレカセブンなんで「我が妄想に一片の悔い無し!」みたいな感じです。
きっと、これまでいくつもの驚きと感動を提供してくれた、京田監督をはじめとした制作スタッフの皆さんなんで、こんな予想の遥か斜め上を行く展開を心から期待しております。

引用元 筆者:燕

https://blog.goo.ne.jp/55_peugeot/e/7687b044413d9315d1ef1520d56ab848

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